沿革
本連盟は、昭和25年(1950)の第2回参議院議員選挙に歯科界代表として林 了(はやし りょう)氏が出馬することとなり、同年5月14日、社団法人日本歯科医師会が「医道の高揚と歯科医学及び医術の進歩発達と、公衆の口腔及び歯牙衛生の普及向上を図り、社会並びに会員の福祉を増進する」ことを目的として自治庁(現在の総務省)に結成届けを提出したのが始まりです。
しかし、会員の悲願むなしく林了氏は一敗地に塗れ、政治活動を後援する目的がなくなったとして同年6月22日に解散いたしました。
その後、昭和26年(1951)4月6日、名称も新たに、「日本歯科医師政治連盟」と改称し「本連盟は日本国内に住居又は勤務所を有する歯科医師が相互に協力し、わが国の医療態勢に対する民主的な政治力を強化して、憲法に則る国民の健康にして文化的活動の確立を期せんとするものである」として設立いたしました。
昭和28年(1953)4月に行われた第3回参議院議員選挙に再度立った林了氏は、宿願の議席を確保いたしました。しかしながら、同氏は同年12月に急逝されました。翌29年(1954)3月31日、本連盟は役員改選期のためとの理由で再び解散届けを提出いたしました。
しかし、租税特別措置法の改正や社会保険関係などの医療問題紛糾とともに、業界代表の必要性が叫ばれ、日本歯科医師政治連盟は昭和29年12月8日、三たび結成いたしました。以来、10数回に亘る規約改正や機構改革を経ながら、これまでの厳しい環境を乗り越え、今日に至っております。
なお、平成6年4月1日より、日本歯科医師政治連盟から日本歯科医師連盟に改称いたしました。